はじめに

このブログを開設したのは2020年8月である。この年が明けてしばらくした頃から広がり始めた新型コロナウイルス(COVID-19)の第一波がある程度収まりを見せたあと、第二波の感染が増えている真っ最中だ。

読者がこのページに目を通してくださっている時は、まだまだ感染の脅威にさらされているだろうか。それともウイルスの蔓延が終息し「そんなことがあったよな」と感慨にふけることが出来るまでになっているだろうか。

新型コロナの影響で多くの企業がダメージを負い、中小零細だけでなく上場している大企業も倒産、非正規雇用者はおろか正規雇用者までもが失業する事態となった。GDPの落ち込みなど負の影響はリーマンショック以上とも言われたのである。

後述するが、さかのぼる1年前私は自己破産寸前までの状態になったのだが、コロナで多くの人が失業し生活に行き詰まる方がおられる中、自分自身はコロナにあまり影響を受けず収入も途絶えることが無い暮らしを送ることが出来ている。経営者としてはあまりに能力不足で貧弱であった私がとりあえず普通の暮らしを続けられ、私よりはるかに優秀な人たちが苦しみの中に放り出されたのだから世の中というものは本当に分からない。思えば私は本当にラッキーでツイていたと言えるだろう。

--------

2019年3月、私は経営していた会社の不振から従業員を解雇し、倒産手続きを経て自己破産する段取りを進めていた。中小零細企業では一般的な話だが会社が借りた融資の個人保証に入っていたため、返せない債務は自動的に私個人が返済義務を負う。しかし職を失う身分に、当時抱えていた数千万円の借金は返しきれるものではない。非常に悩み抜いたのち自己破産で債務を消しゼロから人生をやり直した方が良いと決断したのだった。

と、理屈の上では言えるが、このとき私は55歳。自己破産によりお金も家も失った人間がその後生きていくには多くの困難が待ち受ける。まずは住居と仕事の確保から始めなければならないが55歳の中年男が職にありつくのはかなり難しいと言わざるを得ない。しかし業種・職種のえり好みをしなければ出来なくもないだろう。実際この時点ではどんな仕事でもやる覚悟は出来ていた。

私の会社は、とある田舎町で従業員数名を抱え製造業を営む零細企業だった。父親の跡を継いだこの会社は主に下請けとしてものづくりをしていたが、当然ながら景気の影響を受けやすく親事業者の業績次第で受注量が安定しない。なにより加工費も良いはずが無かった。それでも父親の時代は経済成長の時代背景もあってそこそこの業績を保っていたが、私が社長を交代する頃には厳しい決算内容が連続していた。

そこで私が採った生き残り策は自社オリジナル商品を作り、売価を自社でコントロールし、自社でインターネット販売をすることだった。インターネットが普及し始める1999年ごろのことである。

これが功を奏し一時は業績も回復したが、インターネットで世の中に出回れば当然の流れとして競合が台頭する。またコピー商品のと戦いもつきまとった。その後いろいろな対策を試みたが業績は下り坂を落ちる一方だった。

企業の経営は資金繰りの戦いである。業績が転がり落ちる中での資金繰りは融資頼みの経営になってしまう。銀行に提出する返済計画で「コレコレこのように転換を図り、業績を回復させ、このように返済原資を生み出していく」というように盛り込んでみるもののほとんど上手くいくことは無かった。次第に融資額は膨らみ、自分自身の給料も返上してやり繰りするが一向に楽にはならない。いよいよ銀行から引っ張れなくなってくると私個人でカードローンに手を出し会社に回すようになった。

しかし会社の利益はほとんどすべてがそのローン返済に充てられ、苦しくなるとさらにローンを契約する。借金を借金で返済する最悪のパターンに陥ったのだ。徐々に精神的にも追い詰められ、個人の借金が1千万円近くになったころ、もう何のために会社を運営しているのか分からなくなった。

ある日営業の幹部社員より、取引先から発注が当分見込めないという回答を持ってきた時、これがダメ押しとなり私は会社を畳む決心をした。

インターネットで顧客へダイレクトに製品とサービスを提供していた自分にとっては、会社を未来永劫運営しサポートを続けていくという道は当然のことだった。会社を辞めてしまうと言う判断は一抹も持っていなかったのだが、そのために自分の生活が破綻しては全くもって本末転倒である。その判断さえまともに出来なかった精神状態だったが、ついに清算しようと決断したのだった。ずっと生きた心地がしなかった日々を送っていたが、「やめる」と決断した瞬間から妙に気持ちが楽になった。

--------

そう決断し従業員にも会社を畳むことと皆を解雇する旨を伝え各種の準備を進めていたが、インターネット販売は業績を大きく支えることは出来なかったものの依然それなりの売上を作っていた。

我が社のオリジナル商品は、工作機械と職人によって作っていた工程に手のかかる製品が主であったが、こぢんまりと手作業で作られるような製品もあった。まだユーザーから求められるこれら製品を捨ててしまうのに忍びない想いが私にはあった。

会社を倒産させてしまうとせっかく築いてきたブランディングも消えてしまう。自己破産したあとで起業し再び製造販売することは理論上は可能であるが、ゼロスタートでの再開は実際のところほぼ無理と言ってもよい。

従業員の解雇が済んだ今、一人で会社を続けながら商品を販売していくことが出来るのではないか?そう考えるようになった。
倒産を前提にした会社資産および自宅の売却も進めており、それらの売却益を融資返済に充てる予定でいた。どうせ自己破産するなら売却額はどうでも良かったが、会社存続の前提なら少しでも売却額を上げて返済負担を軽くしたい。

売却手続きに入ってくれている不動産業者に相談したところ、業者買取りだとどうしても一定水準の金額でしか引き取れないが、一般顧客の買い手が付くなら色良い金額で買ってもらえるかもしれないとのことで骨折りしてもらったところ、当初の金額よりはるかに大きい金額で買い手が付き売買が成立した。

これにより私にとっては天文学的な額だった負債が千数百万円にまで減らすことが出来た。一人の返済額としてはまだまだ大きすぎる金額だが、引き続きインターネットで商売を続けながら返済できるかも知れない。ともすると完済前に自分の寿命が尽きてしまうかも知れないが、それはそれで仕方が無い。それこそ倒産させるならいつでもできる、そう思い直した私は小さなアパートに引っ越したのち一室で商品の梱包発送を行いながら元の会社名で事業を続けている。

最初の数ヶ月は本社所在地の変更や自身の住所変更、金融機関との一部繰上返済の手続きなどバタバタ落ち着かない日々が続いたが2019年の終盤頃から腰を据えて仕事が出来るようになっていた。

--------

そして年明けしばらくして新型コロナウイルス拡大での社会混乱である。幸いにして私がリリースしている商材はコロナによる活動自粛等には直接影響しないアイテムだった。元々がインターネットで販売しているがゆえ、売上にはほとんど影響しなかった。もちろんどのような商材やサービスも今後社会がドン底まで落ちてしまえば影響は避けられないから、ずっと安定しているとは言えない。

安定はしていないが、毎日ネットで入ってくるオーダーを処理しながら、かつニュースで大企業の倒産が伝えられるのを聞くと、世の中は何が災いし幸いするのか分からなくなる。経営者失格と自身を責めていたが、優秀な経営者が運営し優秀なスタッフが勢揃いした大企業がこれまで誰も想像もしなかったことが原因でひっくり返るのである。優秀な人々が「明日からどうやって生きていけば良いのか」と路頭に迷うのである。

私はユーザーのために良い製品を作り提供し、従業員のために労働環境としては有給休暇の整備や労働時間の短縮など精一杯真っ正直な企業と自負しながら営んできたが、経営の局面での大事な判断・選択で誤り倒産寸前までおとしめてしまった。私は多くの失敗を繰り返した。人は後悔は無益かも知れないが、振り返って悪いところは改善し活かしていくことは大事なことだ。

そもそもコロナとは関係なく、かねてから「ああすれば良かった、こうすれば良かった」ということを後悔という視点ではなくプラスの材料に出来るような形でブログを書きたいと思っていた。自身が二度と同じ轍を踏まないようにこれまでの失敗を振り返り、そして私と同程度規模の事業を営む経営者の方々が陥りがちなミスをしないよう、参考にしてもらえる記事を書いていきたいと思う。

© 2024 宅配メシの生活