「完全に詰んだ」
「もう来月は越えられない」
会社の口座残高、自分の手持ち、売上の入金スケジュール、日々迫ってくる返済日…
夜中に静まりかえった部屋でパソコンに表示されるさまざまな数字をカウントしながら、じっとりとした冷たい汗を感じていた。
3~5日ごとにやってくる複数の金融機関の返済日にどのようにやりくりしたらよいか頭をひねるが、どうやっても資金ショートは目に見えている…。
「もうどうにもならない」
そんな言葉が、頭の中で何度もぐるぐると回っていた。
なぜこんな状況になってしまったのか
少し前まで、私は自分の町工場を経営していました。
父親の代からの会社を引き継ぎ、下請け業態から脱却すべくオリジナル商品を開発して、それが一時期はヒット商品にまで育つことに。
テレビメディアの取材を受けたり、展示会で注目を集めたり、乗りに乗っている時は明るい未来があると思っていました。その後に忍び寄る影に気づかず…。
でも商品が売れるようになると、同じような模倣品が出始めライバルも増えていきます。
打開するために広告を打つ、展示会に出展する、Webでの集客を強化する——。
売上を保つためには経費もかさんでいきます。
売上の先行きに不安を感じながらも、未来の利益を信じて銀行融資にも手を出しました。
ですが、結果的にはそこから流れが変わりました。
やがて資金繰りは苦しくなり、返済は膨らみ、もう会社を畳もうと考え最後には本社工場と自宅を売却し一部を返済。
従業員には辞めてもらい、残債を返すべく一人でネット販売を細々と続けましたが、外的要因によって売り上げダウンが一年ほど続き、とうとう限界が来たのです。
お金が尽きた夜に考えたこと
「なんでこんなザマになってしまったんだろう」「なにがいけなかったのか…」
少なくとも自分のプロデュースした商品はみんなに喜ばれていた。お客さんの笑顔もたくさん見てきた。世間を騒がすような悪徳商法をしてきたわけじゃない。
布団に入っても返済の不安と恐怖、自問自答の繰り返してさっぱり寝付けません。それでもやがて夜中の2時3時を過ぎるころにはいつのまにか寝落ちしていますが、ふとしたことで再び脳がざわめき、いつのまにか外も白々と。
「どこかから一時的に借りられないか?」限界まで来ると、人間とにかくお金をかき集められないか、そんなことばかり考えます。
いやいや、イカンイカン、もう絶対迷惑はかけられない。
「自己破産」
その言葉が浮かんできました。いや、本当はもっと前から見えていた。でもそれを敢えて考えないようにしていたんだと思います。でももう現実を受け入れるしかない。
事態は最悪だったけど、決意は生まれた
喜ばれる商品やサービスが盤石の会社を保証するものではありません。経営はもっと違う次元のことが必要なのです。しかしこれまでの私は分かっていなかったと思います。
でも良い商品を世の中に広めた。その自信と誇りはゆるぎません。
その夜が自分にとっての「底」だったと思います。
そこから先は「一歩踏み出すしかない」と考えました。
これ以上失うものがないと腹をくくれたことで、逆に少しだけ心が軽くなったのも事実です。
「破産しよう」
そうはっきり決意したのは翌朝でした。この日から弁護士事務所を探すことになります。
破産は終わりじゃない、始まりだった
破産というと、「人生の終わり」のようなイメージを持たれがちです。
たしかに失ったものはたくさんあります。信用も、財産も、築いてきた会社も。
でも、それ以上に「これでとにかく前に動きはじめられる」という決心で次々と行動を起こしました。
もちろんその後も簡単ではありませんでした。
家計の立て直し、生活の再出発、仕事探し……でも、ゼロから始めるということは、裏返せば「新しく何でも選べる」ということでもあります。
同じような夜を過ごしている人へ
今、この文章を読んでいるあなたが、もし私と同じように「明日の支払い」に怯え、布団の中で眠れずにいるのだとしたら——。
私はあなたに伝えたい。
「その夜が終われば、人生は次のフェーズに進める」ということを。
破産を勧めるつもりはありません。失うものも多く、なにより債権者には多大な迷惑をかけるわけです。
でも追い詰められた先に、自分を責め続けるのではなく「選びなおす」こともできるんだと知ってほしいのです。
幸いにして私は今、派遣ですがある企業の経理部門で仕事をしながら再起を目指しています。すべてが落ち着いたら無理のない範囲でまた事業もしたいと思っています。
ブログで経験を発信しながら、少しでも誰かの役に立てたらと思っています。
これからも等身大の自分で書いていきますので、また読みに来てもらえたら嬉しいです。
今後は実際に自己破産手続きでどんな準備をしたのか、また再就職までにどう動いたのかも記事にしていく予定です。